君を知り尽くしちゃって

元気に生きて、一度死んで、生き返った。

ジャニヲタになったきっかけ

4年ぶりくらいにブログを作った。最初に書くなら、何となくこれかなと思ったテーマ。お題とかまだよく分からないから、あとで編集できるのかなこれ。


私が「ジャニヲタ」という自覚を持った時に好きだったのは、関ジャニ∞大倉忠義。それまでにSMAPの中居くんとか、斗真くんとか、ジャニーズで好きな人は何人かいたけど、のめり込んでいったのは大倉が最初だった。

初めて大倉を認識したのは小6秋に放送されていたドラマ「ヤスコとケンジ」。最終回直前の回で、多部未華子ちゃん演じるヤスコを、大倉演じる椿くんが抱きしめるシーンで完全に撃ち抜かれた。このドラマは初回から見ていたはず。なのに、それまで大倉のことをかっこいいと思ったことが無かった。「抱きしめる」という王子様的な行動があって、やっと堕ちた私はなんて安易。その日に椿くん役の人をネットで調べて、大倉忠義を認識した。


それから来る日も来る日も、頭の中は「大倉くん」。でも他の人にはそれが言えなかった。だってまさかジャニーズを好きになるなんて、自分が1番思ってなかったし、心のどこかで「それが恥ずかしいこと」みたいな考えがあったんだと思う。「ジャニヲタ」という事実が晒せるようになった経緯は、追々。

言えなかった理由は、もうひとつ。自分のキャラクターと違う好みにのめり込みそうだったのが、怖かったから。それまでの私は教室でずっと本を読んでいる、根暗を体現したような子供だった。毎日図書館に通いつめて、授業中にも本を読んで、先生に怒られてた。それでも無視して読んでたくらいだから、なかなか面倒だったと思う。 クラスには友達がいなかった、確か。誰とも話さない日があるのはザラだったし、捻くれてたからそりゃ誰も話したがらないわな、って。数少ない友達には「演歌が好きそう」って言われてた。


そんな自分のイメージギャップと苦しんで、好きなことを認められなかった9〜11月を経て、12月に突入する。年末音楽番組の放送が始まった。2008年、関ジャニ∞は「無責任ヒーロー」が月間売上自身初1位(確か)を記録して、どこの歌番組でも無責任ヒーローを歌っていた。私はそれまで「大倉忠義」は好きだったけど「関ジャニ∞大倉忠義」は知らなかった。でもWikipediaから得た知識によって「あっ関ジャニ∞って大倉くんがいるグループじゃない?」程度の軽い気持ちで、歌番組を見ていた。
軽い気持ちだったはずなのに、大倉の台詞「頑張れ日本!」で簡単に堕ちた。「アイドル 大倉忠義」に簡単に堕ちた。胸がキュッ、てなった。今でも結構鮮明に覚えてる。

それからえげつないくらい、YouTube無責任ヒーローのPVを見て、関ジャニ∞自体も好きになり、ジャニヲタの完成である。


ジャニーズとは相容れない性格と生活で生きていた私だけど、テレビを見ることはずっと好きで。一人っ子なうえに、親が働いていたから、テレビが家族レベル(ちょっと盛った)で毎日見てた。その中でも好きなジャンルは連続ドラマ。昼ドラも見てた勢いで好きだった。この好きが高じて、最終的にヲタクになったから、当時の私は本だけにのめり込んでなくて、本当に良かったと思う。

エビのクレアクじゃないけど、本当に転げ落ちるみたいに加速したんですよ、いや本当に。